AIっぽさを消すのではなく、文章に「書き手」を戻す
生成AIに文章を作らせると、内容に大きな間違いはない。文法も整っている。話の順序も分かりやすい。
それなのに、数段落を読んだところで、妙な感覚が残ることがある。
「これ、AIが書いた文章ではないか」
断定できる証拠があるわけではない。特定の単語が使われているからでもない。それでも、文章全体から漂う“AIっぽさ”は、確かに存在するように感じられる。
では、その正体は何なのだろう。
そして、AIを使いながら、その気配を文章から消すことはできるのだろうか。
AI文章は、間違っているから不自然なのではない
AIらしい文章について調べると、よく挙げられる特徴がある。
過度に丁寧である。
結論がきれいにまとまりすぎている。
抽象語が多い。
同じ意味を言い換えて繰り返す。
「重要です」「求められます」「可能性があります」といった表現を多用する。
研究でも、AI生成文は人間の文章より形式的かつ非個人的になりやすく、語彙の多様性が低い、反復が多いといった傾向が報告されている。ただし、こうした研究の多くは英語とGPT系列に偏っており、日本語やモデルの違いを越えて通用する絶対的な特徴が見つかったわけではない。
大規模言語モデルを使った共同執筆の実験では、指示に従うよう調整されたモデルを利用した文章ほど、他の参加者が書いた文章との類似度が高まり、語彙や主張の多様性も小さくなった。モデルが提案する表現や論点そのものが、似通っていたためである。
生成AIからアイデアを得た書き手は、個人単位では「より創造的で、文章としても優れている」と評価される作品を書けることがある。しかし、その作品群を並べると、AIを使わなかった人々の作品より互いに似やすい。生成AIは一人の文章を底上げしながら、社会全体の文章を少しずつ同じ方向へ寄せる可能性を持っている。
ここに、AIっぽさの一つの正体がある。
AI文章は、下手だから目立つのではない。
広く受け入れられる文章として、平均的にうまく整いすぎている。
「AIが好む単語」を消しても、AIっぽさは残る
AI文章を人間らしくする方法として、頻出表現を禁止するプロンプトがよく使われる。
「重要ですを使わない」
「三つの箇条書きにまとめない」
「結論で内容を繰り返さない」
「抽象的な比喩を避ける」
一定の効果はあるだろう。
しかし、これだけでは根本的な解決にならない。
現代のAI生成文を頻繁に読む人が、AI文章を高い精度で見抜いたという研究がある。その判断材料には、特定の頻出語だけでなく、過剰な説明、例を三つずつ並べる癖、必要以上に形式的な表現、きれいすぎる結論など、文章全体の構造や態度が含まれていた。単語を置き換えたり、「人間らしく」と再生成した文章でも、経験者はより深いパターンを手掛かりにしていた。なお、この実験は英語のノンフィクション記事を対象としているため、そのまま日本語全般に当てはめることはできない。
そもそも、AI生成文を機械的に判定する技術にも限界がある。文章を言い換えるだけで検出率が大きく下がる場合があり、理論上も、AIの文章が人間の文章に近づくほど完全な識別は難しくなる。
英語圏では、AI検出器が非母語話者の文章をAI生成だと誤判定しやすい問題も報告されている。整った文章や語彙の狭さを安易にAIの証拠と見なせば、本来の書き手まで疑うことになる。
したがって、「AIっぽい」と感じることと、「AIが書いたと証明できる」ことは別である。
AIっぽさは、鑑定結果というより読後感に近い。
そして読後感を変えたいなら、表面の単語だけでなく、文章が生まれる過程を変える必要がある。
AIの文章には、基本的に失うものがない
人間が文章を書くとき、そこには何かしらの偏りがある。
この話だけは伝えたい。
この人物には腹が立っている。
ここは説明したくない。
この経験を誤解されたくない。
自分でも結論が出ていない。
以前は正しいと思っていたが、今は疑っている。
人間は、世界のすべてを均等には見ない。
同じ出来事を見ても、ある人は匂いを覚えており、別の人は相手の言葉遣いを覚えている。関心のない部分は雑に通り過ぎ、気になる部分だけ異様に詳しく書く。
この偏りが文章の輪郭になる。
対して、一般的な生成AIには、その文章を書くことで守りたい評判も、捨てたくない信念も、思い出して腹の立つ過去もない。
指示がなければ、なるべく多くの読者が納得できる地点を探す。反対意見にも触れ、極端な断定を避け、論点を整理し、最後には前向きな可能性を示す。
これは回答システムとしては優秀な性質である。
ただし、文章として読むと、誰も危険を負っていないように見える。
AIっぽさとは、語尾や語彙の問題以上に、その文章に固有の賭け金が置かれていないことなのではないか。
誰に嫌われても主張したいことがない。
何を削ってでも残したい一文がない。
書き終えたことで、書き手自身の立場が少しも変わっていない。
その無傷さが、文章を滑らかにし、同時に薄くする。
「人間らしく書いて」というプロンプトが失敗する理由
AIに「もっと人間らしくしてください」と頼むと、しばしば次のような加工が行われる。
口語表現が増える。
短い文が混じる。
少し感情的になる。
比喩が追加される。
わざと文法を崩す。
しかし、これは人間の外見を模した衣装に近い。
人間の文章が人間らしいのは、文が短いからでも、誤字があるからでもない。書き手が何かを選び、その結果として別の何かを捨てているからである。
本当に必要なのは、「人間らしい表現」の追加ではなく、文章に選択の痕跡を戻すことだ。
たとえば、AIに完成原稿を一から作らせる代わりに、先に人間側から材料を渡す。
自分が実際に引っかかった点。
世間の説明に納得できない理由。
具体的に思い出せる場面。
最初に抱いていた誤解。
文章に入れたくない結論。
読者に同意されなくても残したい主張。
これらは、単なる参考情報ではない。
文章の重心を決める情報である。
AIは知識を補うことには強いが、書き手にとって何が重く、何が軽いのかを自動では決められない。その重さまでAIに平均化させた瞬間、文章は再び無難な中心へ戻っていく。
AIには「書かせる」より「問い返させる」
文章のAIっぽさを減らすには、AIの担当範囲を変える方法もある。
最初から完成原稿を書かせるのではなく、AIには材料の不足を探させる。
「この主張は、誰にとって都合が悪いか」
「この文章で書き手自身が判断している部分はどこか」
「一般論だけで、具体的な経験が欠けている箇所はどこか」
「反対意見に配慮した結果、主張が消えている箇所はないか」
「この結論は、本当に本文から生まれたのか。それとも記事らしく閉じるために付けただけか」
AIを代筆者ではなく、編集者や質問者として使う。
すると、人間は自分の中にある材料を文章へ戻しやすくなる。
AIに文章のすべてを任せると、AIが持つ平均へ引かれる。
人間が原材料を出し、AIに整理と検査を任せると、人間の偏りを残しやすい。
プロンプトに必要なのも、「人間っぽい文体で」という一行ではない。
書き手がどこに違和感を抱いているのか。
何を断言し、何は保留したいのか。
どの経験からこの話をしているのか。
誰に向けており、誰には届かなくても構わないのか。
こうした情報である。
きれいな結論を、必ずしも書かなくていい
AI文章は、終わり方にも特徴が出やすい。
本文を要約し、今後の可能性を示し、「重要になるでしょう」と結ぶ。
読みやすい。親切でもある。
ただ、すべての文章が展望を示して終わる必要はない。
途中まで考えた結果、疑問が深まることもある。
二つの意見の間で決めきれないこともある。
読者に判断を残したほうがいいこともある。
文章は、問題を解決するためだけに存在するわけではない。
うまく言葉にできなかった違和感へ形を与えたり、今まで見えていなかった対立を露出させたりするだけでも、書く意味はある。
AIに最後まで整えさせると、その未解決部分まで回収される。
だから、結論をAIに書かせないという選択もあり得る。
あるいは、AIが生成した結論を削除し、本文の中で最も引っかかる一文を末尾へ移す。
文章を人間らしくするために、わざと乱雑にする必要はない。
ただ、文章がまだ終わっていないなら、終わったふりをさせない。
AIっぽさを消す目的は、AIを隠すことではない
AIっぽい文章を避けたいという話は、ともすると「AIを使ったことを悟られない方法」へ向かう。
しかし、そこを目的にすると、文章は別の意味で空虚になる。
AIの癖を隠すために単語を置き換え、文を崩し、感情を足し、検出器の数値を下げる。そこに書き手の考えが戻ってくるとは限らない。
目指すべきなのは、AIの使用痕跡を消すことではない。
文章の責任を、人間側へ戻すことだ。
何を書くかを決める。
何を書かないかを決める。
どこに具体例を置くかを決める。
どこで断定し、どこで迷うかを決める。
AIの提案を採用しなかった理由を持つ。
文章が人間のものになるのは、すべての文字を人間が手入力したときではない。
最終的な選択を、誰かが自分の判断として引き受けたときである。
プロンプト補完が補うべきもの
プロンプトを補完するサービスを考えるとき、単に修飾語や命令文を増やすだけでは足りない。
「専門家として書いてください」
「自然な文章にしてください」
「具体例を交えてください」
こうした条件だけを足しても、完成するのは、より高品質に整えられたAI文章かもしれない。
むしろ補うべきなのは、通常のプロンプトから抜け落ちやすい書き手側の情報ではないだろうか。
なぜこの文章を書くのか。
どこに違和感があるのか。
一般的な説明の何が物足りないのか。
実際に見聞きしたことは何か。
どの意見には賛成できないのか。
読者にどんな疑問を残したいのか。
これは、AIへの命令を強くする情報ではない。
書き手を文章の中へ戻す情報である。
AIっぽさを消す最も確かな方法は、AIを弱くすることではない。
人間が持つ偏り、経験、判断、ためらいを、プロンプトから消さないことだ。
人間らしい文章とは、粗雑な文章でも、気まぐれな文章でもない。
無数にあり得た書き方の中から、誰かがこれを選んだと分かる文章である。
AIが文章を整える時代になったからこそ、書き手に残される仕事は以前よりはっきりしている。
文章をきれいにすることではない。
何をきれいにせず残すかを決めることである。
参考文献
- Terčon, L. & Dobrovoljc, K., “Linguistic Characteristics of AI-Generated Text: A Survey”
AI生成文に見られる形式性、非人格性、語彙多様性、反復などの研究を整理したサーベイ。 - Padmakumar, V. & He, H., “Does Writing with Language Models Reduce Content Diversity?”
言語モデルとの共同執筆が、文章の語彙・内容の多様性へ与える影響を実験的に検証。 - Doshi, A. R. & Hauser, O. P., “Generative AI enhances individual creativity but reduces the collective diversity of novel content”
生成AIが個人の創作評価を高める一方、作品間の類似性を高める可能性を示した研究。 - Agarwal, D., Naaman, M. & Vashistha, A., “AI Suggestions Homogenize Writing Toward Western Styles and Diminish Cultural Nuances”
AIによる文章提案が、文化的な表現や書き方を西洋的な様式へ近づける現象を扱った研究。 - Russell, J., Karpinska, M. & Iyyer, M., “People who frequently use ChatGPT for writing tasks are accurate and robust detectors of AI-generated text”
生成AIの利用経験が多い読者が、語彙だけでなく文章構造や説明態度からAI生成文を判断する過程を調査。 - Sadasivan, V. S. et al., “Can AI-Generated Text be Reliably Detected?”
AI生成文判定の技術的・理論的な限界と、言い換えによる検出性能の低下を検証。 - Liang, W. et al., “GPT detectors are biased against non-native English writers”
AI文章検出器が、英語の非母語話者を誤判定しやすい可能性を示した研究。
